うちの子に限って、と言うのは当然のこと……だけどなるべく冷静にね
人には現状肯定バイアスがかかる
人間には、高額なモノを取得した際、そのモノについて良い評価をくだす傾向が認められるそうです。その傾向は、取得に要した金額が高額であればあるほど、より強まるのだとか。
「高い金出して買ったものについて良いと思いたい。悪い評価はしたくない」
ということですね。
6ケタの壁
ごく平均的な日本人の場合、6ケタ(10万円)以上の価格のモノについては、否定的な意見をなかなか言えない。
「買ったけどイマイチだったね~」
と反省できるのは精々数万円までで、それ以上となると、内心疑問に思っていても
「良いと思う。満足だ」
と自分に言い聞かせつつ、高評価してしまうそうです。例えば、某konozamAや価○.comなんかでも、高額商品になればなるほど☆5と☆4が増えるとか。
考えてみれば当然
なぜならば、買ったモノへの悪い評化とは、買うと決断した瞬間の、そのモノについて、「価格と同等以上の価値を持つ」と判断した自分への批判に繋がるからです。自分の決断への批判には身を切るような痛みを伴います。
ましてや、高額になればなるほど、
「清水の舞台から飛び降りる」
ような気持ちで決断するわけですから、その決断は正しいと思いたくなる。飛び降りたのは間違いだった、なんて自分で自分の死体に鞭打つような行為ですから。
そういう心につけ込む悪徳商法
さて、買ったモノが一過性のモノならまだ良いのです。しかし、本当にヤバいモノって継続するんです。例えばぁゃしぃ健康食品やダイエット用品、補正下着やオカルト用品(壺とかお札とかね)なんかが有名ですよね。
つまり、
「効果出るまで時間がかかる」(だから効果出るまで買え)
「継続しないと意味が無い。止めたら元に戻る」(だからずっと買え)
「使ったら酷くなった?それは好転反応だ。良くなる兆候だ」(だから続けて買え)
なんて言われるわけです。
膨らんでいく支払額
継続した結果、支払額の累積がとんでもないことになっていきます。そして、累積が多くなればなるほど、現状肯定バイアスは強くなり、「継続する」との自分の判断を否定し難く、「良い」と思いたくなります。更に膨らむ支払額。気づけば自分の支払い能力の限度を超えている。
金の切れ目が縁の切れ目で、それは家族でも同じでしょう。平均的な会社員の旦那さんや奥さんが変なモノに引っかかってとんでもない借金こさえて、もう生活できないよ、なんてことになってもついてきてくれる家族なんて普通いませんよ。
結論
「お金と時間がかかっているものほど、それを良いと思いたい。」のは仕方がないので、そう思いがちだという事だけでも、なるべく忘れないようにしたいものですね。
余談
それに費やす金と時間がとんでもないことになるモノ……その最たるモノは自分の子供でしょう。そう考えたら、
「うちの子に限って」
と言う親が、何故そう言うかわかりやすい。自分の子供にかけたお金・時間・情念を否定するためには、相当に冷徹な理性またはわかりやすい金銭的被害額を要するでしょうから。
以上です。