中学生の娘と風呂に入りたいと思うこと自体は自由でしょうけどね……
それが、こうなって、そうなって、こうなるのか。いやはやネットやねえ、と思った久々の記事所感です。
大元の記事のポイントをピックアップしますと
- 娘が今3歳
- 今は、一緒にお風呂入って
- 娘が出来た今は、多少アホで親がいないとダメくらいが可愛いんだろうな、って実感
- 娘との時間はたっぷりある。父親として娘との深い絆を作っていきたい
- たとえば、せめて中学卒業くらいまで一緒にお風呂入りたい
- 「一緒にはいろ?」っていう娘に、自分から、「もう高校生なんだから1人で入りなさい」って言いたい。
- 毎年パパに誕生日プレゼントとメッセージカードをくれるような子になって欲しい。
- そんな父親想いの純粋で優しい子に育ってくれたら、嬉しい。
要約すると、
『3歳の娘が可愛い。将来、親思いで純粋で優しい子に育ってほしい。』
後の要素はたとえ話でおまけです。だったら『純なまま育てるにはどうしようか』 というタイトルは違うだろうとは思います。
そういう記事に対して
という『善意の忠告』が入ります。いや忠告したければすればいいんですし、けっこう説得力のある忠告だとは思うんですけど、これは的外れでしょう。
『将来、親思いで純粋で優しい子に育ってほしい。』
に対して
『個人的な感想を言わせてもらうと、「娘」と「息子」で態度を変える男親は、つまり娘に対して「異性」として期待しているんだという事を、娘自身が感じ取る。そしてそれを「気持ち悪い」と感じるようになる。思春期近くになると特に。』
つまり、『純粋で優しい子に育ってほしいという願望』に対して『NG行動やると娘から気持ち悪がられるから気をつけろよって忠告』が入るわけです。言いたい事はそれぞれわかるけど、その願望に対する忠告としては、間違っちゃないけどちょっとずれてるよね、と。
こういう善意の的外れな忠告はネットでよく見る光景ですね。で、まあここまではあるあるネタくらいの話だと思うんですが……問題のこの記事が彗星のように登場。
いいですね、この個人的体験から全方位に喧嘩売っていく感じのスタイル。
『我が家はこうでした』の一文で済む、はっきり言って、ああそうですか聞いてねえよ、という。
で、この記事の方の家庭がどうだろうがどうでもいいですし、少なくとも主観では家族仲良いみたいなんで、お好きにどうぞ……ですが、いらない要素を本文に散りばめすぎなんですよね。んで、それをぶった切る記事が出てくるわけです。
- 親と風呂に入る上で「重要なのは性的な視線を持っているかどうか」ではない。互いのプライバシーを尊重するかどうかという問題だ。
- 父親には血縁であるというだけで娘とそういった親密さに入る特権はない。
- まず父親自身がこれまで裸で付き合ってきた子供としてではなく、成人しつつあるひとりの女性として娘をみなければならない。
この辺には同意です。そりゃそうだよねって。
ただし、
そもそも最初の増田の「純なまま育てる」という言葉にひっかかるものがあった。純粋な娘が年頃になり、入浴しているところを人に見られるのを嫌がるとしたらそれは自然なことだ。しかし増田は「純なまま」だったら父親と風呂に入ると思っている。「不純な娘」は嫌がる。つまり自分と親の性を自覚し始めた娘は「不純な娘」だということだ。
いや、元記事では
父親として娘との深い絆を作っていきたい。
つまり文脈としては『父親と娘との深い絆の一例』として『中学卒業まで一緒に風呂入りたい』なんですよね。いやそれ自体冷静に見るとかなりどうよって話なんですけど、3歳の娘が可愛くて仕方ない人の願望としては、まあ理解できなくもないところです。
それに対して『娘が純なままなら父親と風呂に入ると思っている』てのはやっぱりちょっと話が飛躍しすぎだろうと思うところです。
締め
最後の記事、全体的には同意なんですが、ちょっと思考の飛躍が目立つような……まあでも
「元記事読んで私はこう思いました」
という個人の記事なんで、飛躍上等というか、ああネットやねえ、と思った次第です。
僕のこの記事も決めつけ&こう思いましたってだけなんですけどね。
だいたいそんなかんじ。