映画感想 エヴェレスト~神々の山嶺~
ご存知の方も多いかと思います。神々の山嶺と言えば、夢枕獏の人気小説およびそれを原作とした谷口ジローのマンガ版がありますよね。
小説版を原作に、映画化したものが、今回の映画版になります。
最初に視聴後の率直な感想を
この映画、面白かったのかなあ? 原作読んでなくて、設定を脳内補完できなかった人はどう思ったのかなあ?
改変は構わない
僕は原作改変にはけっこう寛容なつもりです。特に、原作が長編ですと、どうしても作中エピソードを極限まで削らなきゃならないし、削るための設定改変だって必要になるでしょう。ですから、改変そのものについてグダグダ言うんでなく、どうしてそう変えたのかな? などと考えつつ見るようにしています。
ネタバレ前に、どんな人におススメの映画?
- 岡田准一のファン。
- 阿部寛のファン。
- 尾野真千子のファン。
- とにかく雪山の映画を見たい人。
- 考えるな感じるんだ系の見方をする人。
以下、詳細(ネタバレ含)
主人公(以下、深町と表記)がよくわからない。
岡田准一が演じる深町。開始5分で、プロ意識のある、金には困ったカメラマンで元登山家と描写されます。
以後、彼の行動としては、
- ネパールにて金になりそうなネタと羽生丈二(阿部寛)を発見
- 帰国
- ネタと羽生について調査
- 岸涼子(尾野真千子)と会う
- (羽生個人に興味を持つ)
- 岸とネパールに
- 羽生と再会
- 羽生の写真を撮る為に羽生と一緒にエベレストへ
- 帰国・無気力化
- もう一回エベレストへ
- 生き残るために登頂断念し下山
気になったのが、5、8、9、10です。原作読んでるので脳内補完しつつ見れば、一応、筋は通るんですが、映画だけだとわけがわからんのじゃないでしょうか。
前提として、1~8の筋を解説しますと、羽生について調査するにつれ、深町が羽生個人に興味を持って、引き込まれて行き、羽生そのものを見届けたい・記録したいと強く思うようになった結果、エベレストへ同行して羽生の写真を撮る、というものです。
羽生個人に興味を持った描写が薄い、薄すぎる。映画の描写だけだと、深町がどうしてわざわざエベレストまで同行して、羽生の写真撮るのかわからないと思う。しかも途中で写真撮るのやめちゃうし。
そして帰国して無気力化するのもかなり意味不明です。せっかく撮った羽生の写真燃やすのとか、プロカメラマン意識はどうなってしまったんや。
敢えて解釈を試みると、エベレストや羽生について心のケジメをつけて忘れるための儀式として写真を燃やしたのか、などと考えられますが、それじゃプロカメラマンという設定はどうなるんだ。写真好きのただの登山家だったらわからんでもないけど。
結局、羽生とエベレストへの未練を断ち切れずにもう一回エベレストに行って、なんかいきなりオカシクなってザックザック登山。好意的に解釈するとオカシクなったのは低酸素のせいなんだろうけど、これも映画見てるだけだとわかんないんじゃないだろうか。
そしてエベレストにて生きて戻ろうと思って下山。これも、理由が弱い。岸涼子の呼びかけが通じてとかなら、ラブ重視路線と思えばわからなくもないのですが、本作では深町と岸涼子は付き合ってないどころか好き合ってる描写も無いので、それは無い。そもそも岸涼子の呼びかけは華麗にスルーされてましたし。
今作の深町さんまとめ
- 山に取りつかれている。
- 何歳くらいの設定なのかわからない。思春期の青年のような無気力化。
- エベレストの8100mくらいまでは無酸素でヒャッハーしながら登れるよ!
- 岡田准一さんがハァハァ言う姿を堪能できるよ!
深町と比べると羽生はまだわかりやすい
山に取りつかれているすごい登山家という点ばかりが心に残って、人間性はよくわからない気もしますけどね。
ただ、何がどうすごい登山家なのか、映画だけだとイマイチよくわからない。グランドジョラスの生還エピソードが超サラッと扱われているのには、そこも削るんだなあとむしろ感心しましたけども。
あと、深町が自分を撮ることを許したのも理由付けが薄かったかな。映画作中では、それまで大して交流してないはずなんで、え? いいの? て思っちゃう。
岸涼子は……
尾野真千子はキレイです。深町とはラブになりません。尾野真千子はキレイです。極普通の良識的な人間という感じで、山に取りつかれている人基準だと微妙にウザキャラ化していますが、まあ、いいんじゃないかと。あと尾野真千子はキレイです。
できればもうちょっと描写して欲しかったところ
ラストの、深町のエベレストはノーマルルートだったことです。
羽生は超危険なエベレストの南西壁ルートを登って行くわけですが、一方で、再挑戦時の深町はノーマルルートなんですよね。だからこそ、深町は羽生が登頂には成功したことを確信するわけです。そこが一切説明されてない。遺された羽生の手記を読んで、深町はわかったということなんでしょうけど、ちょっと弱いかなと。
もう一つ、羽生と深町の最後の台詞。
羽生のナイーブさの描写があまり無いので、なんか単なる精神論みたいな薄っぺらい感じ。しかし、その台詞で、深町は生きて帰らなきゃなと、登頂断念して引き返す。正直、弱い。そこから逆説的に考えると、深町の無気力&登山中のヒャッハーは、最後のこの展開を上げるために、無理やり下げてたんやろなあ……と。展開の犠牲になってしまった印象。
まとめ
多分、長編原作を纏めてわかり易くするために、可能な限り深町の一人称視点にした結果、なんかよくわからない映画になってしまった。
冒頭に書きましたが、視聴直後の、この映画って面白かったのか? という自分の感想が、自分としては結論になります。映像的な見所はあるんですけどね。
こちらからは以上です。