冒険者の犬

結婚3年半経過した事務職が書く日記ブログです。

親と子と、面倒を見るということについて

 特に、親と子にありがちだと思うんですけど、親は『子は自分を好いている』と思い込んでるし、子は子で『親は自分を好いている』と思い込んでる。いや、多くの場合においてそれは思い込みではなく真実なんでしょう。でも、本当に思い込みの場合もあるんじゃないでしょうか。実は意外と好かれてない………どころか嫌われているということが。

 概ね平均的な親子であれば、子供の幼少時においては基本的にはお互いを好きですよね。好きの内容まで細かく見ると色々あるんでしょうけども。ところが、子供が大きくなって、思春期を経て、一己の成熟した人格を得た時に、お互いに人と人として見てお互いを好きでい続けられない親子って意外といるんじゃないですかね。父がだらしないよなとか、母がしょーもないよなとか。この息子ムカつくよなとか娘いいかげんにしろとか。それでも戸籍上の家族で血縁関係があると色々あるわけで、まあそれなりに円満な家計を維持する方がトータルとしては楽チンなはずです(異論は認める)。そして一度こじれてしまうと元に戻すのは大変………と言うか戻せない。別の安定した形になる場合はあるかもしれませんが。なので、基本的には強者の側である親が、子供が難しい時期であってもそれなりに平穏な関係を維持するコストを多く支払うべきなんじゃないか、と思うんですね。じゃあそれって何かと言うと、衣食住の維持に始まり、子の世話をする、話を聞く、相談に乗る………等々、要は『面倒を見る』ということですよね。

 親子関係とは子の生まれた時からの継続的な積み重ねですから、どっかのタイミングで面倒を見なくなったら、もう後からやろうと思ってもできません。例えば10歳の頃に話を聞いてもらえなくて傷ついた子が、大きくなって親に話をするかと言うとやらないでしょうし、やれってのが酷でしょう。親として常時真剣に応対しろというのもそれはそれで酷とも思いますけど、最低限の誠意であるとか思いやりとかはやっぱり必要なんだと思います。ところが、子が小さな頃だと簡単だったことが、成長してくると、相談一つ取っても複雑になってくる。ハッキリ言って他人の相談に乗れる大人なんてあんまいないんですよ。面倒を見切れなくなってくる。そこで投げ捨てちゃうのか、変わるのか、諦めてもらうのか。ひょっとして必要なのは

「自分はその件の力にはなれない」

と説明する勇気なのかもしれませんね。

 取り留めの無い話でしたが、ぼんやりそんなことを考えたという記録でした。